StairwaytoHeaven〜ほたるこい〜

〜ほほほたるこい

あっちの水は苦いぞこっちの水は甘いぞ

ほほほたるこいほほ山道こい

ほたるのおとさん金持ちだ

道理でおしりがピカピカだ

ほほほたるこい山道こい

昼間は草葉のつゆのかげ夜はぼんぼんたかじょうちん

天じくあがりしたればつんばくろにさらわれべ

ほほほたるこい

あっちの水は苦いぞこっちの水は甘いぞ

ほほほたるこいほほ山道こい

あんどのひかりをちょとみてこい

ほほほたるこいほほ山道こい

ほほほほほほほ〜

東北地方のわらべ歌であり、蛍狩りの歌として広まったほたるこい。

子供の頃、歌った記憶のある方は多いのではないだろうか。

かくいう私も、幼い頃、母と手をつないでお散歩に行ったとき、大きな声で歌ったものだ。

今から30年前に、ワールドツアーで来日した折に、マイケルは数の日本のわらべ歌を覚えていった。

果たして、その時ほたるこいも、耳にして覚えたのだろうか?

どんより曇った梅雨の日没後、一時間から二時間、流れが緩やかなきれいな川や水田の近くの草むらで、蛍は飛び交う。

発光しながら飛び交う蛍を、季節の風物として愛でて、鑑賞することを蛍狩りという。

狩りと言っても、決して蛍を捕まえることではないので、どうか、お間違えないように。

さて、この蛍の発光は、どんな意味があるのか。

端的に言えば、蛍のラブコールである。

蛍の成虫は、腹部後方に発光器があり、発光物質が光ることで光が発生する。

オスは強めに光を発しながら飛び回り、メスは草や木の葉の上で弱い光を発する。

お互いを見つけて、両方が強く光れば、婚約成立となる。

お互いを探す期間は、餌を食べず夜露だけで、蛍は過ごす。

運よくパートナーを探しあてると、一つになる。

その後、次の世代を生み、蛍は命を全まっとうする。

蛍の生態を知って、上記のほたるこいの歌詞を読むと、また新たな感情が湧き上がってくる。

それと同時に、意味不明な部分が浮き上がってくる。

これは、わらべ歌の持つ特性のせいかもしれない。

日本に限ったことではないが、わらべ歌には意味不明なものや、よく考えると恐ろしいものが多い。

推理小説の分野では、わらべ歌を元にした作品が時たま見かけられる。

アガサクリスティーのそして誰もいなくなったや、横溝正史の悪魔の手毬歌などが挙げられる。

それでは、ほたるこいに触発された推理小説はあるのかと言えば、あるのかも知れないし、まだ作られていないのかも知れない。

しかし、このほたるこいと、御伽草子天稚彦草子、そして日本に元からあった伝説棚機津女たなばたつめを合わせると、或る古代の有名な神話が蘇ってくる。

棚機津女とは、七月七日の前日から水辺の機屋はたやで、天から訪れる水神様の訪れを待ち、そこで籠って布を織る巫女のことである。

この巫女とは、町や村の乙女少女のことである。

巫女の織る布は、水神様の着る衣であり、七日の夜、巫女は水神様の妻となり、彼女自身も神様となるとされた。

実際の棚機津女は、織りあがった布を棚に置き、機屋を出て、水辺で禊みそぎをしたと伝えられている。

棚機津女の禊により、町や村が豊穣となり、厄が払えたと伝えられている。

たなばたの語源は、古事記に登場する神様であるアメノワカヒコ天若日子天稚彦が死に、アヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌多那婆多にある。

また、日本書紀葦原中国平定の一書第一にある多奈婆多、またお盆の精霊棚とその幡から、棚幡にもあるという。

映画にしろ、テレビドラマにしろ、挿入歌は大きなアクセントというか、基本的にその映像作品の看板となる。

韓国ドラマ天国の階段にとって、レッドツェッペリンの天国への階段とァィロフのカッチーニのアェマリアは、ある意味、大きな看板であった。

つまり、この看板である挿入歌は、一般的には映像作品の内容に沿った作詞作曲の楽曲が選ばれ、使用されることが多いのである。

七夕と言えば、昭和16年に作られた童謡たなばたさまを思い出される人が多いと思う。

けれど、それ以前は、ほたるこいが七夕の頃に歌われていた楽曲だったのではないだろうか。

そして、話は元に戻るが、ほたるこいと、天稚彦草子、棚機津女が一つに合わさると、人類が好む以上に、神の好んでいる或るストーリーが、はっきりと見えてくる。

稀代のエンターテイナーであるマイケルは、神に選ばれ、神の好むストーリーをプライベートで演じていたのかも知れない。